四国旅行記-① しまなみ海道
29日朝、羽田を飛びたった私と母は、あっけなく気がつけば四国は今治駅前に降り立っていました。
私が幼かった頃は、まだ四国と本州を繋ぐ橋も架かっておらず、両親の帰省の度に尾道から連絡船に乗って四国に渡っておりました。子供心に長時間列車に揺られた挙句に船に乗るというのは、とてもとても遠い所に行くのだと感じたのを覚えています。東京に帰る時などは親戚一同で港まで見送りに来てくれて、「別れのテープ」を持って見えなくなるまで手を振り合ったものです。
別れのテープ・・・・もう、今の若い人はピンとこないでしょうね。昭和もど真ん中の景色ですよね。
船が沖に出て行くにつれ、次々と終わって海に落ちていく色とりどりのテープ。切ない気分を盛り上げました。
現在、あんなふうに別れを惜しむ旅の終わりが無くなったのは、やはり交通手段が発達して、どこもかしも近くなってしまったからでしょうか?
話がそれてしまいましたが、36年ぶりに訪れた今治は、その気にさえなれば気軽にちょいちょいと行ける近い町になってしまったということです。
さて、今治駅でリムジンを降りた私と母は、すぐさま駅前のト〇タレンタカーで予約しておいたレンタカーに乗り込みました。
今治駅前から20分も走ればもう、山や川といったのどかな田舎の景色が広がってきます。
車のナビに導かれるままに走っていると、見覚えのある景色が目に飛び込んできて・・・。母の実家周辺は36年経ってもあまり変わっていないのでちょっと驚いてしまいました。
田舎道はきれいに舗装されてずいぶん走りやすくなっていましたけど。
母たちは6人姉妹ですが(内2人は既に没)、1人だけ男性の兄弟がいました。けれど先の戦争で亡くなったそうです、海上の戦死だったので遺骨も戻ってきていないそうです。
戦死した人のお墓は特別にひときわ高い塔のような墓石が立てられていました。他にも同じような戦死者のお墓がいくつかありました。このあたりの小さな村で若者の戦死者が何人も出たことを物語っていますね。(母の隣にいるのは、いとこの旦那さま)
母の両親のお墓の先は、急勾配の獣道さながらの坂道があり、登るとソコには、さらに先祖代々のお墓が並んでいます。四国に来て俄然体にパワーがみなぎってきた母。東京に居る時だったら信じられない事ですが、私でさえも手こずった獣道をすたすたと登ってしまいました。(問題は降りる時なんですが、優しいイトコ旦那が母の手をしっかりと握って一緒に降りてくれました。)
小さな墓石は、幼くして亡くなった子供のものでしょう。昔は、10人子供が居たら3人は大人になれずに亡くなっていたそうです。
親戚一同集まって大宴会となりました。
久しぶりに会ったおじさんおばさんは、すっかり年をとり、おじいさんおばあさんに。
若かったいとこたちも、還暦を迎えたり、既におばあちゃんになっていたり、私の知らない若い人が増えていたり・・・・年月の流れを感じないわけにはいきませんでした。
ちょっと認知症の入った叔母(母の姉)は、私のことをいまだに十代の学生だと思っていたようです。
何度私の現在の年齢を伝えても、しばらくすると「〇〇ちゃん、もう学校は卒業したん?いくつになったんでー?」と聞かれましたよ。ま、ずっと十代のままでもいいんですけどね。
私たちが滞在中、親戚が集まった大宴会は3回催されました。
宴会のない夜も、イトコの〇〇ちゃんは私のために赤ワインを開けてくれて、母と3人で語りながら2本は空けておりました。
今治に着いて2日間は、父方のお墓参りや親戚のお宅へのご挨拶に費やし、3日目になって天気も良くなったのでちょっと観光らしい事をしました。
母と二人でヴィッツに乗って「しまなみ海道」をドライブしました。
と、その前に母の思い出のお店に立ち寄って腹ごしらえ。
「おとうさんといつもここでうどんを食べたのに・・・」
香川の讃岐うどんの有名処に食べに行こうかとも思っていましたが、連休中は長蛇の列を作り午前中で売り切れ御免になるそうだし、香川までは車で3時間近くかかると聞いて、今回はあきらめました。
しまなみ海道は、瀬戸内海の6つの島を橋で繋いだ有料道路ですが、それぞれの島に観光スポットがあり、瀬戸内海の景色を楽しみつつ島に降りて観光することができます。
私たちは因島で降りてフラワーセンターに行ってみましたが、なんとその日はまさかの休園日。
もう、こうなったら尾道まで行っちゃえと本州に上陸してしまいました。尾道は、古寺めぐりとか歩いて回ると良い所がたくさんあるといいますが、なにせ足元が頼りなくて歩くのが遅い高齢の母連れなので徒歩で街を散策するのは断念。
千光寺公園のロープーウェイの終点まで車で上がり、そこから展望台に登ることにしました。
母は、展望台への登り坂がしんどいと下の売店でソフトクリームを買って舐めながら待っていました。
公園内にある尾道市立美術館で「四大浮世絵師展」が開催されていたので、入ってみました。(70歳以上は無料)
前日の宴会や、慣れない道の運転など、疲れが出た私は浮世絵を観ながら激しい睡魔に襲われました。
絵なんて目に入ってきません。立ったまま膝がカックンとなりそうなほどの眠気です。
これはいかんと、美術館内ロビーのソファに座ってしばしアホ面で爆睡してしまった私でした。
母は、無言で隣の椅子に座って、私が目覚めるまで待っていてくれました。
尾道のお土産に買ったのがこちら。広島県だもんね。
日没直前にどうにか今治側に戻ってきた私たち。この日は母の実家を継いでいるいとこの〇〇ちゃんの手を煩わせないように外で食事を済ませてくるからと言ってありました。
たった今渡って帰ってきた来島海峡大橋のたもと、目の前の瀬戸内海の眺望を楽しみながらお食事できる海峡料理伊予水軍さんに行きました。
でもここでは、もう母は泣きませんでした。
おなかが空いていたので食べるのに夢中になっていたからでしょうか。
悲しかったのは、車だったので飲めないこと。本当に残念でした。
アルコールの無い食事の寂しいこと。今回ばかりは呑みたい時に運転してくれるおやーじゅはいません。
初めて、おやーじゅにいつも運転を押し付けて申し訳ないと思いました。柄にもなく・・・。
母と私の四国旅行はまだまだ続きます。
to be continued
blogをアップできているという事は無事にお帰りになった印ですね。
途中、宴会場の片隅に何気なく例の市松人形がアピールされていて頬が緩んでしまいました。
おうどん、美味しそうですね。
私は生まれも育ちも神奈川県なのですが、断然うどん派なのです。
しかも関西の方が言われる「ドブ水に浸かった」ような醤油の濃い汁が好きで…
岡山県に旅行した時、讃岐うどんを食したら薄い汁なのにダシが効いていて美味しかったのを覚えています。
海に囲まれた四国ならではの海の幸がいい感じですね。
量もたっぷりでお写真を見ているだけでお腹がいっぱいになりました。
すごく充実したご旅行だったようですね~^^
親孝行の旅、行ってよかったですね~!
田舎の風景って、何年経っても変わらない場所が多いですよね!
うんうん^^
親戚の人たちって、よく会っていた子供の頃の思い出が強いらしくて
おとなになってからお会いしても、りおんちゃんは生まれたときはこんなにちっちゃくて~・・・
から始まって、あんなことした、こんなことした
と、自分に記憶のない恥ずかしいことやらなにやら
暴露されて、その場に居づらくなるんですよ~^^;
いつまで経っても、こども扱いです~^^;
お母さま、生まれ故郷を、お父さまとの思い出の場所を
どんな気持ちで歩かれたのでしょうね・・・
ちょっと、ほろりとしてしまいました~!!
ご報告第2弾も、楽しみにしておりますよ~^^
はい。GWもあっという間に通り過ぎ、なんだか四国で過ごした
1週間は夢だったのか、と言うほどしっかり日常に戻っております。
お、デンママさんもうどん派?私もです。
ルーツが四国ということで、幼少の頃から母が打ったうどんとか
たべていたので、ほとんど主食に近いです。
そうですね。西のほうはうどんのおつゆは色が薄いですね。
ダシと薄口醤油のおつゆ、だからといって塩分が低いわけではないそうですよ。
そう、四国はやっぱり海の幸です。滞在中、毎日新鮮なお刺身を
いただきました。魚好きの私にとっては、うれしい毎日でしたが、さすがにこちらに帰ってきたら「肉食いてぇ~」と思いました。^^;
はい~。母との思い出作りできました。
思い切って行って良かったと思いました。
母も旅行中、とても生き生きしていました。^^
長い間会っていない、親戚の人たちは、いちばん印象に残っている私の姿で覚えていてくれるんですよね。
いとこの中でも私が一番年少だったので、私=若いというイメージのままらしいです。
すっかりオバサンになって、目の前に現れて申し訳ないような感じでした。
ヾ(´∀`*)ゞ
母と行ったところはすべて、父との思い出があったようです。
最初は、どこへ行っても涙ぐんでいましたが、それとは逆に
元気になって行動的になってる母もいました。
もう、父は居ないということが身に沁みた旅でもありましたが、親戚がみんな母の事を心配し、励ましてくれた事が力にもなったようです。
第2弾も盛りだくさんになってしまいそう・・・・^^;
東京から西は、修学旅行の京都、長崎以外は
未開の地なので、こうして色々見させていただいて
うれしいです〜^^
そうそう、連絡船のテープ、わかりますよ〜。
私の方も昔は北海道に行くのには連絡船にのらなければならなかったので
そうそう〜〜と思って場所は違えど、懐かしい気分で読ませていだたきました。
今は、車でどこにでも行ける時代ですものね〜。
やはり、生まれ育った地では、自然とイキイキしてくるものなのですね^^
お母様のそういう姿をみたsanaさんもさぞ嬉しかったことでしょう^^
会食の方も親戚一同あつまって楽しそう。
うちは親戚ももうあちこちにちらばって、なかなか会う事もないので
うらやましいです〜^^
いった先々でのお料理もまたおいしそう〜〜〜
第二弾も楽しみにしてます(≧∀≦)
なるほど市松人形はこうした広いお部屋に鎮座されているのですね。
益々、夜皆が寝静まった後密かに動き出しそうな妖しさが・・・
しまなみ海道のドライブ、お母様も喜ばれたのではないでしょうか。
饂飩もコシがあってもっちりとして美味しそう!
そしてお土産の牡蠣も堪りませんね。こちらは私も頂いたことが
ありますが、食べやすくそして美味しくおつまみにも最適ですよね♪
旅行記は早く書かなきゃ忘れがちですが結構書いたり写真の整理などで
労力を費やしますよね・・・^^;。
私も今奮闘中です。次を更新せねば。
私も西のほうに旅行するのは、本当に久しぶりでした。
連絡船のテープ、分かっていただけますか~?
船の別れというのは、特別に情緒深いものがありますね。
見送る人と去っていく人、それぞれにテープの端を持って。
どんどん港が遠ざかり、見送りの人たちが点のようになり、テープは終わって落ちていくの。子供心に寂しい気分になったのを覚えています。今じゃ、国内どこでも飛行機でひとっ飛び。お気軽になりましたね~。
母が故郷に帰って、姉妹たちと逢って急に元気が出てきたのは
よく分かりました。東京に居る時とは活舌もちがうんですもの。^^
ウチの場合、離れて関東で暮らしているのは母だけで、他の親戚は皆四国にいますので、私たちさえ出向けば親戚が集まるのは簡単なんですけど~、いかんせん、みんなトシをとっとりました。^^;
自分も同じなんですが。
向こうでの食事は何を食べても美味しかったです。
肥えて帰ってきました~。^^;
帰ってまいりました~。すっかり日常に戻り、1週間前にはまだ
あののどかな田舎町に居たとは信じられない気がします。^^:
ふふ、市松人形の全貌を観ていただけました?
この部屋は、昼間もあまり日が差さず暗く、神棚があって古い写真が飾って、部屋の隅にこの市松さんのような座敷わらしが立っていてもおかしくないような。^^;
しまなみ海道ドライブ、やっぱり母は父と二人で経験済みなのですが、そんなに思い出に浸って涙ぐむ事も無く、淡々と楽しんでいたみたいですね。こうして、少しづつ、思い出にも免疫ができて、胸を痛める事も少なくなってくるのでしょうね。
四国はやはり、どこで食べてもうどんは美味しかったです。うどん屋さんはいたるところにあるけれど、ラーメン屋サンはあまり見かけませんでしたね。
旅行記、早く更新しなくちゃと思いますが、まとめるのはなかなか
骨の折れる作業ですね。
quesoさんはいつも分かりやすくきちっとまとめていらっしゃるので
さすがって感じですよ。^^
私も少しづつ書いていますが、あれもこれもと欲張って、要領を得ない長ったらしい記事になってしまいそうです。ε-(´д`;)