ヨウムな生活 sanahana.exblog.jp

平凡な主婦と平凡なヨウムの楽しく滑稽な日々を綴ります


by sanakk
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ノーパンピーちゃん

ある日の朝、鳥たちのお尻を狙って撮影してみました。
詩と希、このふたりの朝の放鳥はご法度。ケージ越しに撮ってみる・・・。
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フラッシュで若干白浮きしてしまいましたが、詩も希もお尻はきれい。
ちゃんとパンツはいてます。045.gif
その希と詩のケージの上でなにやら喋くる海のお尻は・・・・・
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      やっぱりきれいですね。ちゃんとお尻隠れてます。

ゴミ箱漁りに夢中の灰色娘のお尻も失礼してパシャリ。
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お年頃女子の花には申し分けなかったけど。ちゃんと下着を着けていますね。
恥ずかしい所、丸出しにしておりません。

が、しかぁし!こいつ、ピーちゃんは・・・・
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菊の御紋、丸出しや~。ちょっとモザイクかけたくなるくらい。
私のブログに来てくださってる方々は、もうお分かりだと思いますが、ピーちゃんスリスリしすぎです。
下着が擦れてなくなり、ノーパン状態に・・・・。

そういえば、大昔、ノーパン喫茶なるものが流行ったことがありました。
学生の時、世間知らずの私と友人はやたら時給が高い新宿の喫茶店のアルバイトの面接に行ったらノーパン喫茶だったという事件があったっけ。
あわあわ言いながら逃げるようにして、帰ってきたことがありました。012.gif

おっと、話がそれました。
ピーちゃんのエロエロ気分はどうにかならないものでしょうか?このままでは、スリスリしすぎてお尻の皮が剥けてしまうのじゃないかと心配です。
ピーちゃんの第一番目の恋人、鏡付きおやつ入れを撤去してしまいましょうか。でも鏡がなけりゃ、止まり木が恋人になるし、ピーちゃん相手は選ばないからなぁ。
この際、本当に小さなピーちゃん用のパンツを作ってはかせてしまおうか・・・・などと考える今日この頃です。
トランクスのようなデカパンをはいてるピーちゃんを想像すると、つい笑ってしまうんですけど・・・・。
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節操のないエロエロピーちゃんにピンクのデカパンを穿かせてみるの図。
仕事中にこんなイタズラ書きしてひとりでニヤニヤしてしまいました。037.gif

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by sanakk | 2010-11-29 20:33 | Comments(12)
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今年も残す所一月余りになってしまいました。
何かと気ぜわしく忙しい時期ですが、街はクリスマスのイルミネーションできれいだし、あちこちで忘年会はあるし、華やいだ気分になる12月という月が私はかなり好きです。
でも、まあ、今年の暮れは喪中の身です。そうそう浮かれていては、天国のおとうさんにゲンコツをもらっちゃうでしょう。011.gif

私は元気です。日に何度かふっと父を思い出してなんともいえない淋しさを味わいますが、大丈夫です。
母は元気とは言えないです。まだまだ父との思い出にどっぷり浸り、喪失感に苦しむ日々が続くのでしょうがこれはもう仕方のないことです。時が少しづつ母の心を癒し強くしていってくれることを祈るだけです。

父が残していったケイタイの使い方をやっとこさ覚えた母は、日に何回も電話をしてきます。(私の携帯番号登録した短縮ボタンの3を押して決定を押したら電話がかかるということを理解するのに丸一日かかりました。3→決定 だけなのに・・・・)仕事中だろうが、お風呂中だろうがおかまいなしにかかってきますが、ここは誠心誠意対応しなくてはいけないでしょう。私と話すことで束の間でも淋しさがまぎれるのであれば・・・。
いつでも、どこでも母と繋がることができる携帯電話とはなんとスバラシイ文明の利器だろうと、しみじみ思う今日この頃です。

父の葬儀の数日後、ちょっと不思議でおバカな経験をしました。
しばらくは母の郷里から叔母さんやらいとこやらが、入れ替わり立ち代り出てきて実家を訪問してくれました。
「こんな時じゃないと会う機会がないねぇ~」とか言いながら、十数年ぶりに会ったいとこたち(みんなトシとってオバサン、オジサンになっていた)と、会食して久しぶりだったせいかつい調子に乗って呑みすぎた私でした。
兄貴やいとこたちと別れて千鳥足で山手線高田馬場駅から電車に乗ったのが夜の9時半ごろ。端っこの席に座れて、やれやれ品川まで眠っていけると壁にもたれかかり足を組み腕を組み、眠る体勢を取ったのは覚えています。
「〇〇〇・・・」耳元で父が私の名を呼ぶ声を聞いた気がしました。はっと気が付いた時は電車は田端駅に滑り込んだところでした。やれやれ、山手線約半周も乗り過ごしちゃったよ、と時計を見るとなんと深夜12時過ぎ・・・・。は?私はいったい山手線を何周したのでしょう?酔っぱらって眠り込んでいる私を父が起こしてくれたのでしょう。
乗り換え電車は終電ギリギリでした。042.gif
葬儀のどさくさで疲れていたとはいえ、こんなくたびれたオジサンサラリーマンみたいなことしてしまったのは初めてです。
もう、若くない・・・・お酒も自分の体調を考えて程々にしなくちゃと、父に戒められ私自身も反省した事件でした。012.gif

もうひとつ、びっくりしたことがありました。
母の郷里から出てきてくれた叔母さんは、一つ年下の妹と私は物心付いた頃から母に聞かされていました。
あまりにも母に似ているので、小さい頃はよく叔母さんのことを「お母さん」と呼んで間違えていました。
本当にそっくりなのです。流石に年を取った今は、60年近く都会暮らししてきた母と田舎で農業をしてきた叔母さんではその生活環境の違いがふたりを見分ける違いを作っていますが・・・・。
ふたりは一卵性双生児だったと、初めて今回知りました。
何と知らなかったのは親戚中で私だけだったのです。
大昔、双子というのは恥かきっ子的な扱いを受け、どちらか片方の子は里子に出されたりしたのだそうです。(母の郷里だけの風習か?)
母と叔母さんも子供のころは、双子だということでからかわれたり、いじめに合ったそうです。
学校の先生にまで、双子だと言う事をクラスメートの前で中傷され、母はその担任の事を未だに怨んでいるそうです。そんなことがトラウマになって娘の私にも自分が双子の片割れだと言うことができなかったようです。今じゃちょっと信じられないことだけど。
あまりにも母と叔母さんがうり二つなので、兄もいとこたちも口には出さないけど双子だとうすうす分かっていたそうです。
「オマエ、いくらなんだってこんなにクリソツな姉妹がいるかよ~。気づいてなかったの~。」と兄貴に笑われてしまいました。
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     双子のリリーズ(古っ!)もしくは 金さん銀さん の図。
どれだけ、ウリふたつかちゃんとお見せできないのが残念です。
叔母さんもまた数年前に連れ合いを亡くしております。さすがに双子、母の痛みは叔母さんの痛みのようでした。ふたりはその夜、遅くまで語り合ったそうです。

鳥たち、元気です。
ゆっくりとかまってあげる時間があまりないので、そこは不満を持っているかもしれません。
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相変らず絶倫ぎらぎらオトコのピーちゃんは興奮マックスに到達する直前でいつも私にとっつかまりチュウされちゃうのでした。037.gif

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by sanakk | 2010-11-26 16:15 | Comments(16)

ありがとうございます

たくさんの優しいコメントをいただきました。
お返事は、こちらでまとめてさせていただくことをお許しください。

皆様にご心配をかけました母は大分落ち着き正気を取り戻しました。
病院から父危篤の連絡を受けて、私や兄や孫たちの携帯に電話をかけたことも、
身支度してタクシーで病院に駆け付けたことも、母の記憶から消えています。
最初に病室に着いて、すでに息を引き取っていた父と対面したのも母なのに、その時のこともまったく覚えていないそうです。
母がどれほどの錯乱状態だったか伺えます。

父が毎日かかさずつけていた日記(亡くなる当日も翌日の分までつけていた)を読み返すと、
父が本当に母のことを大切に想い愛していたということがよくわかりました。
「妻と一緒になれてよかった。幸せだった。」という言葉を見つけた時は、切ない気持でいっぱいになりましたが、一方で安堵のような感情も湧きました。
父は幸せだった。悔いのない人生だった。そう確信したからです。
棺の中の父は、本当に安らかないい顔をしていました。うっすら笑みを浮かべているかのようにも見えました。どんな人間も必ず死を迎えるし、その時は愛する家族との別れが否応なくやってきます。
でもその時に、父のように自分の人生が幸せだったと言えるってとても素敵なことだと思います。


本日、父は荼毘に付されました。
父が逝去してから、時間軸が狂ったような1週間でした。
もう2度と、私が幼いころからずっと見てきた父のカタチを見ることができないと思うと、枯れていたかと思っていた涙がまたあふれてきました。母もまた同じでした。
まるでお花畑で花に埋もれて眠っているような父のカタチにとうとうさよならをしました。
カタチは消えても、父は必ずどこか高い所から私たち家族のことを見守ってくれていることでしょう。
そして、いつかまた昇っていく母をやさしく迎えてくれてふたりは一緒になれるんだと私は信じています。

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娘たちが父の奇跡を祈って折っていた千羽鶴は、700羽を超えたところでした。
間に合わなかったけど、お棺に入れておじいちゃんに持って行ってもらうと次女が昨夜3時までかかって繋げました。きっと父は、母が棺に入れたお気に入りのスーツを着て、片手に孫娘の700羽鶴をぶら下げて天国の階段を昇って行ったことでしょう。あの足を引きずるような独特の歩き方で・・・・。

皆様の優しいお悔やみや励ましのコメントにどれだけ救われたことか・・・・。
本当にありがとうございます。

しばらくは、母のそばに付いていなければならないし、雑務に追われる日々でしょう。
この一週間、毎日ほとんど家を空けていたのですが、鳥たちは健気に留守番していてくれました。
放鳥が出来ない日もありました。何も食べずに私の帰りを待っていてくれる日もありました。
そんな愛すべき私の鳥たち5羽を引き連れてきっと戻って来ますので、またお付き合いをよろしくお願いいたします。040.gif

今回は、コメント欄を閉じております。

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by sanakk | 2010-11-12 21:30

旅立ち

昨日、父が他界しました。
誰も面会に来ていない時間帯をあえて選んだかのように、夕方、ひっそりと一人で逝ってしまいました。
夕方までは意識もはっきりあり、自分で歩くこともできて、日記までつけていたくらいでした。
あまりに早い展開に家族一同茫然としました。せめて今年いっぱいくらいは一緒にいられるかと思っていたのに・・・・。
昨日の午前中は母と2件目の緩和ケアの病院の面接に行っていました。
待機時間が1か月以上あると聞かされがっかりして帰る途中、母があまりにも憔悴しているので今日は父の病院はお休みしてゆっくり家でやすみなさいと勧めたのは私でした。今、無理をして母に倒れられては大変だと思ったからでした。私はその後仕事に行かなければならなかったので、母を家に送り届けて別れました。
悔やまれます。仕事なんて放っといて母と父に会いに行けば良かったと・・・・。

母の悲しみ方は尋常でなく、あまりのショックに頭のタガが外れてしまったみたいでした。
父の亡骸にすがりついて泣いていたかと思えば、急に思いついたように
「あれ?ここはどこだっけ?みんなどうして集まってるの?あれ?お父さんは?お父さんはどこ?」と言い始めたりして、一同青くなりました。
安定剤を飲ませ、数時間経つとすこし意識レベルが戻ってきましたが、それでも同じことを言い続けたり、目の前に父が横たわってるのに「あれ?おとうさんは?」と言ったりしてます。

父の死の前日、鼻に酸素チューブをつけて眠ってる父を見た母は死期を実感し、泣いてしまったそうです。
気配に気がついて目覚めた父は、母に「寝ても覚めてもおまえのことばっかり考えているよ。おまえは元気で長生きしろよ」と言ったそうです。
母も「あたしもお父さんのことだけ考えてるよ」と泣きながら言ったのだそうです。
最後の時は、やはり夫婦しかないのだな・・・と感じました。息子も娘ももうそこには入り込めないのです。

父は立派な人でした。

どんどん冷たくなっていく父の手を握って何度も言いました。

ありがとう。ありがとう。
また生まれ変わっても私はおとうさんの子供として生まれたい。
必ず、行くから。おとうさんのことを探して必ず行くから。それまで待ってて。

父の耳には届いたでしょうか?


一晩中家を空けていて、さっきまる一日ぶりに花をケージから出してたら、私の指をつかんで絶対に放しませんでした。鳥たちもきっと何かを感じているのでしょう。

平常心に戻るまで、ブログをお休みします。
また、明るく鳥たちとの生活を語れるようになったら戻ってきます。
よろしくお願いします。

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by sanakk | 2010-11-06 07:46 | Comments(16)

とうとう・・・・

更新が滞っております。040.gif
このところ週末は実家に行っていることが多く、ろくに鳥たちの写真も撮っておりません。
昨日の日曜日は、雨も上がったので実家の近くの護国寺境内大師堂の脇にひっそりと佇む通称「ひとこと地蔵」様に母がお参りしたいというので、一緒に行ってきました。
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生涯でひとりの人のひとつの願いごとだけ聞いてもらえると言うお地蔵様だそうです。
密かに人気者で遠方からわざわざ祈願に来る人も多いのだとか・・・・。
嫁ぐまで、この地に約30年暮らしましたが、知りませんでした。初めて見るお地蔵様でした。
しゃがみこんで「おとうさんがどうか苦しみませんように・・・痛い思いをしませんように・・・・」と拝む母の丸く小さくなった背中を見ていると、またもや涙腺が緩む私でした。
「おかあさん、初めてお参りに来たの?」と聞くと「ううん。〇〇〇(兄の息子)の大学受験のときも就職の時もお願いに来た」だって。
なんだ、おかあちゃん、だめじゃん。お願いは一生に一人にひとつだけ、だよ。と泣き笑いしながら言うと、母も「そうだねぇ・・・・」と涙を拭きながら笑いました。
でも大丈夫。私は初めてだから。お母さんの代わりにしっかりとお父さんのことお願いしてあげる。そう思ってお地蔵様に手を合わせました。
見れば、傍らに立っているおやーじゅもぽろぽろ涙を流してる。びっくりしました。
だって、約19年間一緒に居るけど、おやーじゅの涙は見たことが無かったのです。
どんなに悲しい映画を見ても、感動のドラマを見ても、横で私が号泣していても、奴の瞳はいつも乾いたままでした。このオトコは、きっと私が死んでも泣かないだろうとまで思っていました。

後から、おやーじゅ曰く数十年ぶりに錆付いた涙腺が緩むほど、(前回はいつ泣いたか覚えていないそうです)私の母が可哀想だったのだそうです。
父に寄り添って、寄りかかって共に生きてきた半世紀なのです。そりゃあ、ひとりになるのはどんなにか寂しいだろう、心細いだろう・・・・、娘の私などとは比べ物にならないほどの悲しみだろうと思うと私の涙腺もまたバカになってしまうのでした。

父はとうとう、入院しました。
もう、家には帰れないだろう・・・と父自身も覚悟の入院です。
体調がすぐれないので、本人も在宅では限界を感じたらしく緩和ケア専門病院が受け入れてくれるのを待てずに総合病院に入院しました。
せめて、一日も早く本人が希望している緩和ケアの病院に入れてあげたいと思います。
そうすれば、6人部屋で治療中のほかの患者さんと過ごす今の病院にいるより、父も安心して過ごせる気がします。家族が一緒に泊まれる設備も整っているらしいし・・・・。
明日、その緩和ケア専門病院の面接に母と行ってきます。父本人はもう、行けないというので、私が代わりに・・・。18床しかないその病院には、他にも入院したい方は居るらしく、家族と面談して病院側は審査して入院できるか否か決めるらしいのです。どういう基準で選んでもらえるのか見当がつかず、事前対処ができません。入試や就職の面接とは訳が違います。
少なくとも、父本人やその家族である私たちが、緩和ケアの意味を理解し近いうちにやってくるであろう「死」を受け入れているかどうかが問われることとなるのだろうと思います。
少しでも、「生」に執着を持ち、延命治療を望む気持ちがあるのでは、こういった病院には入れないのだそうです。
私には、実はまだ諦めきれない気持ちがあるのですが・・・・。明日の面接は、そんな気持ちも封印して「受け入れた家族」として臨まなくてはなりません。
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娘たちと毎晩、千羽鶴折っていますが、まだ半分にも届きません。
千羽折るって大変ですね。間に合うだろうか?って時々頭をかすめたりします。
昨夜はちょっとだけ、鳥たちの写真撮りました。

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海はいい子。そばに来てじーっと見てるけど、邪魔したりしません。ひたすら私の手元を見ています。
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     パソコンに向かう長女に寄り添う海。
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カメラ目線の希。意外ですがオカメsも、あまり作業の邪魔はしません。
遠巻きに見ているか、私の肩か頭でまったりとしているか・・・・。

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困るのはやっぱりこの方・・・。甘ったれヨウム花。
折った鶴を盗もうとするし・・・・、動く私の手にじゃれ付いてくるし・・・・。
花が出ている時はまったく作業がはかどりません。
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父の病気の進行がすこしでも遅れるようにと祈りながら折るつもりの鶴なのに、いつの間にか頭の中が真っ白にになって無心で折っている自分に気がつきます。

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by sanakk | 2010-11-01 15:01 | Comments(15)