洗濯物をたたむ花。子供のころに通った小鳥屋さん
私は、一週間分の洗濯物をいっぺんに土日の休みの時にまとめてたたみます。
いつも、花のケージの隣で。すると、必ず花が新聞紙をぐちゃぐちゃにして丸め始めるのです。
今日、気がつきました。花は私のまねをして、たたんでいるのですね。
私といっしょに新聞紙を足で押えながら、ぐしゃぐしゃにしながら・・・。
もー、なんて可愛いのぉ~、花ちゃまーん。
今日は、御茶ノ水の大学病院に入院している父を見舞いがてら、久々に実家にかえりました。
この子は、父の愛犬、ダックスの小太郎です。
小太郎は、数年前に原因不明の病気で後ろ足が麻痺し歩けなくなりました。
必死のリハビリで、今は這いながら3mくらい動くことが出来るようになりました。
おじいちゃん(父)が不在で寂しそうな表情です。
小太郎はもともと飼い主が世話を放棄して、あちらこちらをたらいまわしにされていた悲しい生い立ちの子です。それを、実家の甥っ子が引き取ってきたのです。
はじめ、年老いた私の両親は小太郎を買うことを反対していました。小太郎のことを「いぬ」と呼んで、家族の一員にすることを拒んでいました。
ところがどうでしょう。いまでは、小太郎はじじばばの生きがいになってます。
甥っ子からとりあげて、おじいちゃんがすべての世話をするようになりました。
小太郎は、若いおねいちゃんが大好き。大学生の甥っ子がつれてくるガールフレンドに遊んでもらいたくて、必死で歩こうとするうち、ほんの少しの間後ろ足が立つようになりました。
♂にとって、♀の存在とは、このように影響大なのですね。
ところが、甥っ子はガールフレンドにフラれました。もう、おねいちゃんには会えなくなった小太郎。おじいちゃんもいつ戻ってこられるかわからないし・・・。かわいそう・・・小太郎。
実家に帰ったついでに、子供のころ散々通った小鳥屋さんに行ってみたくなりました。
娘たちを連れて行った見ました。
30年以上経った今でも店のたたずまいは変わりませんでした。
けれど、一歩店に入って、悲しくなりました。
鳥たちの飼育状況がひどかったからです。
セキセイのケージには、落鳥したセキセイが放置されていました。
昔、ちゃきちゃきとしたお店のおばさんは、すっかり年取って小さなおばあさんになっていました。
おばあさんに、セキセイのことを教えてあげると「あー、ほんと、いつも喧嘩して殺されちゃうんだよ」って、亡骸を紙袋に入れてその辺に置きました。
この店のおじいさんの愛鳥のキエリボウシ。売り物ではないそうです。
8歳と言うことですがとてもそんなに若くみえないほど、毛並みもわるく・・・。私たちが近づくと怯えました。
ペットヒーターが入れてあったのがせめてもの救い。
このおばあちゃんがおばちゃんだったころ、私はこの店で何羽ものセキセイやラブバの雛を買いました。育て方も、おばちゃんに習いました。とても、活気のある頼りになる店でした。
屋上では500羽以上の伝書鳩を飼育し、レースなどにも出ていましたがそれも5年前にやめてしまったそうです。
今はすっかり年老いた小鳥屋さん夫婦。小鳥たちを大切に飼育することもしんどくなってしまったのかしら。
心臓の手術の後遺症と腎臓を悪くしてすっかり弱った父を見舞った後だったので、老いについて、考えさせられる帰り道でした。
キエリボウシ君の今後は気になるものの、もうあの店に行くことはないな。悲しくなるもの。
ただいまぁ~、花ちゃま。
今日のお留守番も長かったね。
なんか、悲しい鳥さんを見た後は、いつもより増して海や花を愛おしく思う。
大切に可愛がってあげなくちゃと思う。
そんな娘が欲しい…可愛い、可愛いよ花ちゃまラヴよ。
お父様のお加減、心配ですね。
小太郎さんの姿にお父様の存在の大きさを感じてしまいます。
うちの両親も心の準備が必要な歳になって最後までいい人生だった、幸せだったと思えるようにと、最近ではそんなことばかり考えます。
小鳥の店…こんな風に悲しい店を見る度にどうしようもない気持ちになります。
sanaさんの大切な思い出もこれを見てしまうことで変質するのだと思うともっと胸が痛みます。
それが時間というものの残酷さなのかもしれませんが、辛いことですね。
でも大切な家族について考えることは、集約されていくとシンプルですよね。
いかに愛を捧げられるか、そういうことじゃないかな。
花ちゃんを見るとそのシンプルさが解ります。
花はいつも洗濯物をたたむ私の横で、こうやって新聞紙を折りたたんで小さくしてたのに、私、この時まで気がつきませんでした。花の行動の意味を・・・。遅すぎ。
いつまでも、親の保護の下で甘えていたいキモチが抜けきれない甘ったれな私ですが、容赦なく別れの時は近づいているのだということを思い知らされます。信じられない、信じたくないけど不死身の人間はいませんからね。
これからは、別れのつらさをたくさん味わうだろう年齢にさしかかっているのですね。誰しも通る道ですが、私はまだ心の準備が出来ていません。
両親との時間もあとどのくらいあるかわかりませんが、後悔を残さない接し方をしたいと思います。
可愛そうな境遇のすべての鳥たちを救うことなんてできっこないですから・・・。今手元にいる、海や花を大切にする事が私にできるすべてだと思います。
今は家族の一員として貴重な存在になっているなんて
幸せですね。どう生まれたかよりもどう死んでいくかの方が
重要だと今は思っています。
小鳥屋さんはすごいですね~。ちょっとありえない状態に見えます。
レスキューできるものならしてあげたいですが・・・。
小太郎は、悲しい過去のせいか、いつも寂しげな顔してるような気がしてるんです。今現在、自分の終の棲家が出来て、安心して暮らしてくれてると思うんですけどね。
そうですね、天に召される時、自分の人生が幸せだったと思えるかどうかですね。過去がどうこうというよりも・・・。
こたちゃん、おじいちゃんを待ってようね。 甥っ子さんにも、また素敵な春がきます。 わんちゃん大好きな優しいべっぴんさんよきっと。
お父上、心配ですね。お大事になさいませね、あの病院はいいですよ、祖母が昔お世話になっていました。
小鳥屋さん、経営も体力もきびしいのね。跡継ぎもなく。なんとも、さびれてしまった昔の思い出をみるのはつらい。 悲しかったね。
また、こたちゃんの写真、みせてね!おじいちゃんにナデナデされてご機嫌なお顔、見せてね(*´∀`*)
そうですそうです、こたって呼んでます。
こたは、足が不自由なうえに、今おじいちゃんもいないので、とても不憫です。せめて、甥っ子が早いトコ次のカノジョを見つけて(こた好みの若くて可愛くて動物好きの)こたと遊んでやって欲しいものです(笑) 若いっていいでよね。すぐ、次の恋を見つけられて・・・。
小鳥屋さんのおばさんがすっかりおばあさんになっているのはショックでした。あたりまえですよね。私がよく通っていた頃から30年以上たっているのですから。歳を取ると、体力も気力も衰えるのですね。もう、惰性で商売してるって感じでした。
それでも、長年営んできたお店をたたむことはできないのでしょうね。買い手もつきそうにない小鳥やうさぎたちが哀れにみえました。