すっかりご無沙汰していました。2018年の夏も終わろうとしていますね。まだまだ残暑が続きそうですが、朝夕の風は秋の気配を感じるようになりました。
今年の夏休みは次女YUKAと長崎に旅行してきたので、今回の記事は旅行の記録として残したいと思います。
お盆休み一日目、早速夕方の便で羽田から長崎へ飛びました。(この時期の朝もしくは昼間の便は2か月前でも取れませんでした)
拠点として宿泊するホテルがある長崎新地に着いたのは夜9時をまわっていました。
とりあえず夕食を取っていなかったので夜の街に出てみました。ホテルは長崎中華街の真ん前、少し歩けば新地の呑み屋横丁があります。とても便利な場所です。

この呑み屋街がなんといいますか・・・凄くてびっくりしました。けして綺麗な街並みとはいえませんが活気があります。
東京で言ったら新宿のゴールデン街か(最近行ってないのでイメージです)、立石の呑兵衛横丁か北千住の飲み屋横丁あたり、彷彿とさせる感じか。
胡散臭そうな店もけっこうあって、鼠が横切りそうな路地を歩くことに慣れていないYUKAが怖がるので、事前に調べておいた中華屋さんを探して入りました。

皿うどん。長崎での第一食目。お店では中国語が飛び交っていました。
甘いです。皿うどん。のちに地元の人はみんな甘口あんかけの皿うどんにウスターソースをかけると知りました。
この時はまだそんな食べ方を知らず、甘い皿うどんをいただきました。まあこれはこれで美味しかったですけど。
さて、翌日、この旅のメーンイベントです。

ホテル近くの常盤ターミナルというところにAM8:15分集合。
軍艦島周遊&池島散策炭鉱体験ツアーを予約してありました。

長崎に発つ3日前くらいから台風ヤギ(14号)が沖縄に接近しつつあって、進路によっては海が荒れて船が出ないのでは?(ヘタすりゃ飛行機も飛ばないのでは?)と心配しておりましたが、うまい具合にヤギは九州からは遠くそれてくれて、その日は晴天、海はめったにないほど凪いでいました。(ガイドさん談)
船が海に出て40分ほど経った頃、とうとう憧れの軍艦島が現れてきました。

廃墟好きの私とって軍艦島は聖地といっても過言ではありません。

南北約320m東西約120mの小さな人口の島。ここに最盛期は東京の9倍の人口密度で5200人ほどの人が暮らしていました。私が生まれる前の話。

映像などで見たその頃の繁栄の様子を思い起こしながら、廃墟のコンクリートビル群を見ていると何とも言えない気持ちになりますね。

軍艦島の本当の名前は端島。軍艦の様に一番見えるポイントまで船を走らせてくれました。

確かにこの位置で見ると日本海軍の戦艦「土佐」に酷似している。
今回、軍艦島に上陸はしませんでした。上陸したところで決められた歩道をあるいて、3分の1ほどの外観を見ることしかできません。当時の暮らしの痕跡がの残されているであろう建物内部など踏み込めませんし。
軍艦島を象徴するコンクリートの建築物の中で最も古い30号棟は大正5年に建てられたもので日本初のRC造7階建です。当時としては超近代的でお洒落な建物だったのでしょうけれど電気もガスも通っていない時代。台所はかまどだったそうですよ。そういうの見てみたいなぁ。

船は島をゆっくり一周してから、第二の軍艦島と呼ばれ最近観光客に人気の池島に向かいました。

どんどん遠くなっていく軍艦島、名残惜しい・・・

船で更に30分ほど、池島に着きました。
九州で最後に閉山になった炭鉱の島。最盛期には約8000人ほどの人口がありました。
現在でも約140人の方が住んでいるそうです。それと猫もたくさん住んでいる島。
周囲4kmの小さな島(軍艦島よりは大分大きいけど)なので歩いてまわれますが、何せ暑い・・・。この日の気温は長崎市で37度。島はもっと暑かったのではないでしょうか?
体感的には40度くらいでした。ガイドさんと共に歩き始めます。

まずは名物ヤギが「めぇぇぇ~めぇぇぇ~」と鳴いてお出迎え。

今はもう使われていない発電所。かなり錆びついてます。ジブリ映画の「ハウルの動く城」を思い出しました。
島の中心を通る路地を登って行きます。

港の近辺の建物にはまだ人が住んでいるのが分かりましたが、この辺りまで来ると全く生活の気配はありません。あるのは朽ちかかった虚ろな生活の抜け殻。
島内の建物の9割は空家だそうです。

元パチンコ屋さんがあったそうで、レトロなパチンコ台が放置されていました。

喫茶店だったのでしょうか?

理容店の店構えもレトロですね~。こちらには時々、数少ない住人のために長崎の美容師さんが船でやって来るそうですよ。

この辺りは島が炭鉱で栄えていた頃、飲み屋街だったそうで、炭鉱で働く男性たちが夜羽を伸ばすところだったそう。
つい数年前まで営業していたスナックも店を閉め、今では夜は真っ暗。
人が居なくなると家も街並みもあっという間に劣化するものですね。寂れた街並みにかつて賑わい活気があった頃の痕跡を見つけることは切ないけれどワクワクするのはなぜだろう?

行商さんたちのための旅館だったそうです。

商店街もシャッターを下ろしたまま劣化が進んでいます。

こちらは一日おきにまだ営業している銭湯。

炭鉱で働く人たちのための住宅がとにかくたくさん建っていました。そしてもちろんそこに住む人はもう長い間いません。
伸び放題の雑草とところどころ外れた窓や壊れて落ちているベランダの柵がそれを物語っていますね。

ここに住んでいた人たちは、今どこでどんな暮らしをしているのでしょうか?
2001年に閉山となった池島は、軍艦島に比べると建物の廃墟度合が浅いです。
廃墟としての味が出るにはまだ数十年放置される必要がありそう。これらの建物がいつまで残されているのかわかりませんが・・・。
昭和レトロな廃墟の島として、最近注目されているようなのですが、すごい数の団地群を保存するのも取り壊すのもとてつもない費用がかかりそう・・・。
この先池島はどんな方向に進むんでしょう。

大きな校舎の池島小学校。校庭はだだっ広く、立派な体育館もふたつ。通う生徒は2人だそうです。
最盛期には1300人くらいの小学生が在籍していたそうな。

途中冷房の効いた島民センターみたいなところで休憩しました。狙って貼ってあるのでしょうか?若大将のポスター。

そういえば最近田中邦衛さんを見かけないけどお元気なのかしら?

島でもっとも高い所、展望台まで上ってきました。ガイドさんは2人いましたが、そのうちのお1人は、実際この島で育ち大人になるまで暮らしていたという方でした。
実際に住んでいた方からかつてはこうだった、という説明を聞きながら見て回るのは面白いですね。
お昼ごはんは島で唯一の食堂「かあちゃんの店」で。ツアーの人数分用意されていました。

皿うどん再び。昨夜の皿うどんより和食っぽくて、こちらのほうが私の口には合いました。
ビールがうまいうまい。

もうとにかく暑かったです。店先の猫ちゃんもぐったりと寝ていました。
Tシャツの上に日焼け防止のラッシュガードを着ていましたが、脱ぐとTシャツは汗でびっしょり。

「八階建て」と呼ばれる池島で一番有名な建物です。印象的なデザインとまるで要塞のような威圧感。炭鉱マンとその家族の社宅だったそうです。
私が一番見たかったのもこの建物です。8階建てなのにエレベーターは無いそうです。裏側は坂道で建物5階部分から入れるようになっています。
経年劣化がかなり進んでいて一番廃墟味を感じる建物でしたね。もちろん進入禁止で内部を見ることはできません。

池島神社もあります。お参りしておきました。
もっとじっくりと散策したかったんだけど、暑さにやられてそろそろギブアップでした。
このツアー最後には、実際の炭鉱坑内に入って坑内体験がついてます。

島の各所に散らばっていた我々ツアー客は午後2時半に集合場所に戻り、装備をしてからトロッコに乗って炭鉱坑内に入って行きます。まるでディズニーランドのアトラクションの様でワクワクしますが、行く先は油臭いジメジメ上から水が染み出てくる暗ーい本当の坑道です。

坑道に入ると外の暑さがうそのように涼しく、肌寒いほどです。

元炭鉱マンだった方が説明してくれるのですが、長崎訛り(?)が強くて私たち母娘はほとんど聞き取れませんでした

軍艦島周遊&池島散策炭鉱体験ツアー、私にとって内容の濃いツアーでした。今度は暑くない季節に池島にはもう一度来てみたいと思いましたね。
軍艦島は「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産登録されましたが、そもそも劣化の激しいこの島を廃墟として維持していくのは難しいだろうなと思いました。行きの船の中でシュミレーション映像とともにガイドの方の説明を受けましたが、このまま100年以上放置すれば軍艦島は元の岩礁に戻ってしまうということでした。
その夜は疲れ切ってしまい、ホテルのすぐそばにあった長崎牛の焼肉屋さんへ行きました。

JA全農ながさき直営のお店でした。長崎牛売出し中みたいですね。くどくなくてあっさりした脂質の美味しいお肉でした。疲れている時はやっぱりお肉!
さてさて、長くなってしまいましたが、長崎旅行はこの後3日目、4日目と続き、駆け足ですが一通りの観光をしました。
長崎三日目も朝から強く日差しが照りつけ暑かったです。

レンタカーを借りて、まずは出島観光。
そして高速道路を走って佐世保までドライブしました。初めての長崎でもナビゲーションシステムという便利な物がありますから、迷わずスイスイとお目当ての佐世保バーガーの店へ。

佐世保バーガー
ログキット佐世保本店
九十九島遊覧船パールクイーン号

海綺麗ですね。九十九島は佐世保港の外側から北へ25㎞にわたり大小208の島が点在する海域の事で島の密度は日本一。
この日の夕食は、長崎市に戻ってまたまた新地の飲み屋街にあるイタリアンを予約してありました。かなり怪しい店が立ち並ぶ路地にあるイタリアンなので大丈夫かな?と心配していましたが・・・

カウンターとテーブル一つの小さなお店に入るとそこは別世界。本格的なイタリアンレストランでした。期待以上に美味しかったです。また行きたい
Hamazyさん。

食後、タクシーで稲佐山展望台からの夜景を見に行きました。日本三大夜景のひとつだそうです。途中、タクシーの運転手さんが福山雅治さんの御実家を教えてくれました。
稲佐山に登る途中の道なので観光名所化してしまうのは仕方ないのでしょうね

有名人は辛いですね。
四日目、また朝からギラギラの太陽。最高気温37度。
まだまだ長崎の観光スポット見てないところだらけなのに夕方の便で帰らなくてはなりません。
朝から地元の観光タクシーをチャーターしてありました。長崎は観光地が狭い地域にギュッとつまっているのですが道が狭くて起伏が激しいので、地元の道路に精通している観光タクシーの方に案内してもらうのが一番効率的に多くの所をまわれるはずです。

まずは長崎観光で絶対外せない平和公園。

如己堂
タクシーの運転手さんが是非見てくださいとのこと。被爆者である永井隆博士が最後の時を過ごした畳2畳の家。

浦上天主堂旧鐘楼。
原爆で倒壊した浦上天主堂の双塔にあったドームが落下したそのまま。50tあるそうです。貴重な遺構ですね。

山王神社の一本柱鳥居を見てから(写真は撮り忘れ)立山に上って見た長崎市街の景色。

眼鏡橋
たもとにある匠寛堂というカステラ屋さんでお土産を買う。皇室に献上しているカステラで買えるのは眼鏡橋たもとのここだけだそうな。美味しかったです。

車の中から爆心地に手を合わせました。

日本二十六聖人殉教地。惨い・・・子供のキリシタンまで殺されたなんて。

長崎と言えば グラバー園。外せないですね。

グラバー園から見えたアジアのどこかの国船籍の豪華客船。客船が入ってくると長崎の街は外国人だらけになる、とタクシーの運ちゃんが言ってました。

そして大浦天主堂。世界遺産になって入場料が1000円になったそうです。前で写真撮るだけでいいよ、とタクシーの運ちゃん。

少し遅い昼食はタクシーの運ちゃん押しのちゃんぽん屋さん宝来軒。

長崎最後の食事は娘が皿うどん、私がちゃんぽんでした。
ここで初めて皿うどんにウスターソースをかけて食べてみる。味にコクが出てほど良く甘みが中和され美味しい~なるほど~。
その後観光タクシーとはお別れして(とても親切にな運転手さんでした。丁寧に分かりやすく観光地のガイドをしてくれました)自力で原爆資料館を見学し、長崎駅まで路面電車に乗って戻りお土産を買う、そのあたりでタイムリミットになりました。
ホテルに預けていた荷物を引き取りリムジンで空港へ。またしても発生した台風15号が九州に接近する前にとっとと東京に舞い戻ってきました。
長い長い旅行記、お付き合いくださった方がもしいらしたら、お疲れ様でした。
何年後かに自分で読み返したら、2018年の暑い暑い夏休みをきっと懐かしく思うことでしょう。
2018年夏 長崎の旅 おわり