今年の夏休みは次女YUKAと長崎に旅行してきたので、今回の記事は旅行の記録として残したいと思います。
お盆休み一日目、早速夕方の便で羽田から長崎へ飛びました。(この時期の朝もしくは昼間の便は2か月前でも取れませんでした)
拠点として宿泊するホテルがある長崎新地に着いたのは夜9時をまわっていました。
とりあえず夕食を取っていなかったので夜の街に出てみました。ホテルは長崎中華街の真ん前、少し歩けば新地の呑み屋横丁があります。とても便利な場所です。
東京で言ったら新宿のゴールデン街か(最近行ってないのでイメージです)、立石の呑兵衛横丁か北千住の飲み屋横丁あたり、彷彿とさせる感じか。
胡散臭そうな店もけっこうあって、鼠が横切りそうな路地を歩くことに慣れていないYUKAが怖がるので、事前に調べておいた中華屋さんを探して入りました。
甘いです。皿うどん。のちに地元の人はみんな甘口あんかけの皿うどんにウスターソースをかけると知りました。
この時はまだそんな食べ方を知らず、甘い皿うどんをいただきました。まあこれはこれで美味しかったですけど。
さて、翌日、この旅のメーンイベントです。
軍艦島周遊&池島散策炭鉱体験ツアーを予約してありました。
船が海に出て40分ほど経った頃、とうとう憧れの軍艦島が現れてきました。
今回、軍艦島に上陸はしませんでした。上陸したところで決められた歩道をあるいて、3分の1ほどの外観を見ることしかできません。当時の暮らしの痕跡がの残されているであろう建物内部など踏み込めませんし。
軍艦島を象徴するコンクリートの建築物の中で最も古い30号棟は大正5年に建てられたもので日本初のRC造7階建です。当時としては超近代的でお洒落な建物だったのでしょうけれど電気もガスも通っていない時代。台所はかまどだったそうですよ。そういうの見てみたいなぁ。
九州で最後に閉山になった炭鉱の島。最盛期には約8000人ほどの人口がありました。
現在でも約140人の方が住んでいるそうです。それと猫もたくさん住んでいる島。
周囲4kmの小さな島(軍艦島よりは大分大きいけど)なので歩いてまわれますが、何せ暑い・・・。この日の気温は長崎市で37度。島はもっと暑かったのではないでしょうか?
体感的には40度くらいでした。ガイドさんと共に歩き始めます。
島の中心を通る路地を登って行きます。
島内の建物の9割は空家だそうです。
つい数年前まで営業していたスナックも店を閉め、今では夜は真っ暗。
人が居なくなると家も街並みもあっという間に劣化するものですね。寂れた街並みにかつて賑わい活気があった頃の痕跡を見つけることは切ないけれどワクワクするのはなぜだろう?
伸び放題の雑草とところどころ外れた窓や壊れて落ちているベランダの柵がそれを物語っていますね。
2001年に閉山となった池島は、軍艦島に比べると建物の廃墟度合が浅いです。
廃墟としての味が出るにはまだ数十年放置される必要がありそう。これらの建物がいつまで残されているのかわかりませんが・・・。
昭和レトロな廃墟の島として、最近注目されているようなのですが、すごい数の団地群を保存するのも取り壊すのもとてつもない費用がかかりそう・・・。
この先池島はどんな方向に進むんでしょう。
最盛期には1300人くらいの小学生が在籍していたそうな。
実際に住んでいた方からかつてはこうだった、という説明を聞きながら見て回るのは面白いですね。
お昼ごはんは島で唯一の食堂「かあちゃんの店」で。ツアーの人数分用意されていました。
ビールがうまいうまい。
Tシャツの上に日焼け防止のラッシュガードを着ていましたが、脱ぐとTシャツは汗でびっしょり。
私が一番見たかったのもこの建物です。8階建てなのにエレベーターは無いそうです。裏側は坂道で建物5階部分から入れるようになっています。
経年劣化がかなり進んでいて一番廃墟味を感じる建物でしたね。もちろん進入禁止で内部を見ることはできません。
もっとじっくりと散策したかったんだけど、暑さにやられてそろそろギブアップでした。
このツアー最後には、実際の炭鉱坑内に入って坑内体験がついてます。
軍艦島周遊&池島散策炭鉱体験ツアー、私にとって内容の濃いツアーでした。今度は暑くない季節に池島にはもう一度来てみたいと思いましたね。
軍艦島は「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産登録されましたが、そもそも劣化の激しいこの島を廃墟として維持していくのは難しいだろうなと思いました。行きの船の中でシュミレーション映像とともにガイドの方の説明を受けましたが、このまま100年以上放置すれば軍艦島は元の岩礁に戻ってしまうということでした。
その夜は疲れ切ってしまい、ホテルのすぐそばにあった長崎牛の焼肉屋さんへ行きました。
さてさて、長くなってしまいましたが、長崎旅行はこの後3日目、4日目と続き、駆け足ですが一通りの観光をしました。
長崎三日目も朝から強く日差しが照りつけ暑かったです。
そして高速道路を走って佐世保までドライブしました。初めての長崎でもナビゲーションシステムという便利な物がありますから、迷わずスイスイとお目当ての佐世保バーガーの店へ。
この日の夕食は、長崎市に戻ってまたまた新地の飲み屋街にあるイタリアンを予約してありました。かなり怪しい店が立ち並ぶ路地にあるイタリアンなので大丈夫かな?と心配していましたが・・・
稲佐山に登る途中の道なので観光名所化してしまうのは仕方ないのでしょうね有名人は辛いですね。
四日目、また朝からギラギラの太陽。最高気温37度。
まだまだ長崎の観光スポット見てないところだらけなのに夕方の便で帰らなくてはなりません。
朝から地元の観光タクシーをチャーターしてありました。長崎は観光地が狭い地域にギュッとつまっているのですが道が狭くて起伏が激しいので、地元の道路に精通している観光タクシーの方に案内してもらうのが一番効率的に多くの所をまわれるはずです。
タクシーの運転手さんが是非見てくださいとのこと。被爆者である永井隆博士が最後の時を過ごした畳2畳の家。
原爆で倒壊した浦上天主堂の双塔にあったドームが落下したそのまま。50tあるそうです。貴重な遺構ですね。
たもとにある匠寛堂というカステラ屋さんでお土産を買う。皇室に献上しているカステラで買えるのは眼鏡橋たもとのここだけだそうな。美味しかったです。
ここで初めて皿うどんにウスターソースをかけて食べてみる。味にコクが出てほど良く甘みが中和され美味しい~なるほど~。
その後観光タクシーとはお別れして(とても親切にな運転手さんでした。丁寧に分かりやすく観光地のガイドをしてくれました)自力で原爆資料館を見学し、長崎駅まで路面電車に乗って戻りお土産を買う、そのあたりでタイムリミットになりました。
ホテルに預けていた荷物を引き取りリムジンで空港へ。またしても発生した台風15号が九州に接近する前にとっとと東京に舞い戻ってきました。
長い長い旅行記、お付き合いくださった方がもしいらしたら、お疲れ様でした。
何年後かに自分で読み返したら、2018年の暑い暑い夏休みをきっと懐かしく思うことでしょう。
2018年夏 長崎の旅 おわり